今まさにこの時2011/03/21 12:51

今この時、放射能汚染を心配して原子力はいやだ、なんで自分たちが望みもしなかった原子力発電の事故でこのような目にあわなければならないのかと、多くの人が憤っている。その気持もわかるし、このような事故を起こす可能性のある原子力発電に頼る危険性を考えると、それを推進するのが難しいのもよく理解できる。

まさに、今この時、人類は本当に自分たちが向かうべき未来に対しで長期の視点でどうするのか考え直す時期にきているだろう。

 

 現在われわれ(主には先進諸国)が享受しているこの便利で豊かな生活(そう思い込んでいるだけかもしれないが)を支えているものがこの電気という大きなエネルギーだ。今回の事故で、なんで自分がこんな目に逢わなければならないのかと言っている殆ど人間もこの電気エネルギーに依存して生きている。強引な言い方になるが、今回の原発の事故の責任はこのエネルギーから多くのものを享受しているすべての人に等分にある。

原発を否定した場合のエネルギーの依存先は残念ながら現状の人類の技術力ではまだ化石燃料による発電以外にはないだろう。太陽光、風力もまだほんの一部を補うのが精一杯だ。

 

 現在の電力の消費を維持したまま、火力発電に頼った場合の帰結として地球温暖化は一挙に加速に向かう。実際には残念ならが電力の消費は減少や維持ではなく増加方向へひたすら進んでいるように見える。人間本来の活動で電気に頼らずにできた部分もひたすら電気のシステムへと変化している。自分の身の回りをみてもいくらでもそんな仕組みや製品があふれている。

このような巨大な電力消費を化石燃料依存の発電に頼ればそれほど遠くない未来に地球温暖化の影響での農作物の収穫不足による食糧不足、気候変動による災害、人間が住める地域の減少。それらの影響は現在でも厳しい環境にいる発展途上国により大きくなりやってくる。先進国はひたすら今のまやかしの豊かさを維持し続けようと、貧しい国の人々の犠牲を大きくしながら発展し続けようとするだろうか?それはいつまで続けられるのだろうか?

 

 今まさにこの時、人類は本当に地球全体の規模で遠い未来まで見据えてどのように進んでゆくべきかを早急に考えるべき時点にきている。これは個別の個人、国の枠を越えて考える必要のある最大重要問題である。

 

今回の大地震は自然災害である。しかしそれに続く多くの混乱は人災に近い。そしてこの原発が消えたあとのエネルギーをどのように復活させるのか(このままエネルギーの小さい状態で生き抜く方法を考えるべきだと思うが)、この対応方法次第ではこの大地震をトリガーにした人災はもっと長期的に人類の上にふりかかり続けるだろう。


PS
時が過ぎると忘れてしまうので(喉元過ぎれば熱さを忘れる)、自分への戒めもこめ今の思いを書きとめました。

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